お祓い7

この文章を皆さんに読んで頂く頃はお正月が終わっていると思います。その方が良いと思いあえてずらしました。皆さんは「お正月」にはどんな意味があると思いますか?一年のねんは(稔)ねん{みのり}の意味です。昔はお米が稔る一年のサイクルです。又「月」は満月から次の満月までの意味です。「正」は{基準になる}という意味で、「お正月」とは一年の最初(始まり)の月を意味します。神道では、戦前は全て天皇をお祝いしていました。戦後はGHQが全て廃止をするようにとの事でしたが今も少し面影が残っています。何故お正月に「おめでとう」と言うのか、今では新年に周りの人に行う挨拶の言葉になっていますが、本来は「年神様」{としがみさま}が家々に訪れて鏡餅に宿り祝福をもたらして下さる事について「愛(め)でたい、賞{め}でたい」と発する意味です。鏡餅はどこにお供えすれば良いかと言いますと「年神様」が宿り、新しい年を生き抜く力を与えて下さる場所、つまり「大切な場所」ということです。和風の家では床の間や玄関・台所・神棚。床の間が無い場合は、リビングで良いと思います。車や勉強机・トイレ・お仏壇なども大切な場所になります。会社やお店などではカウンターや棚など、皆さんから見える場所が良いでしょう。余り豪華な鏡餅は必要ありません。その家・会社の玄関・門に合った鏡餅でいいです(決して見栄を張った飾り付けはしないようにしましょう)「程々」です。もし身内に不幸があっても「鏡餅」はお供えします。外に向かって行う「年賀状」や「お祝い」ごとは慎みますが「鏡餅」はお供えします。新しい年の「パワー」「気」「運」「生命力」を頂くという一年の区切りの家の祝い事ですので、喪中に関係なく毎年お迎え(お供え)します。しかし田舎によっては何もやらない所があります。又、一月に女性が亡くなった場合、他の家では亡くなった家に向かって弓で矢を打ちます。それは女はあの世から他の家に迎えに来る。と言われているからだそうです。迎えに来ないようにその家に向かって矢を打つと、矢を打たれる家はたまったものではないです。鏡開きは何時かご存知ですか?鏡開きは通常1月11日です。お供えした「鏡餅」を頂いて新しい年を(仕合わせ)で無病息災(健康)に一年を過ごそうというのが主旨です。場所によっては、4日7日15日20日の所もあり、早く頂くのは一向に構いません。鏡餅と七草を食べ一年を健康に過ごして貰いたいものです。今年は私のホームページを見て頂いてる方に必ず良いことが訪れますように祈願しています。昨年も色々な方がおみえになりました。又色々な人達とお会いしお話いたしました。本当に色々良く当たる一年でした。私の「当たる」は余り良い事ではありません。「宝くじ」が当たったというのではありませんから。私の「当たり」は悪いというかその為に早く気がついて助かったと言って下さる方は良いのですが、昨年は3人倒れてお亡くなりになりました。何時も見えるわけではありませんが、ただ「その方と肌が触れたり」した場合は大体見えます。だからその事を知っている人達は私と握手したり、手を握ったりしてきます。知らない人にそんな場面を見られたら変な関係の人間と思われます。以前、その筋の親分と喫茶店で話をし手を握っていたら、隣に居たおばさんに見られ変な顔されました。新宿はその手の連中が多いから余り気にはしませんがちょつと照れくさかったです。相手の方は周りを見る余裕はありませんから。人の為になれば良い事ですからこれからも手を握らせて戴きます。そういう場面を見ることがありましたら「決して・・ではありませんから」優しい眼差しで見て下さい。それから昨年私に病院等に行ったら如何ですかと言われた方が何人もいると思います。もし時間が取れたら(取って)診てもらって下さい。早めの行動が良い結果をもたらします。(何も無ければそれに越したことは無いですから)本人の了解の元に本人だけにお話した事「子供が憑いている。」私に言われ悪い的中した方には必ずその子供の命日に供養してあげて下さい。近くのお寺、神社で個別にお祓いして貰って下さい。その子供が「いたずら」をします。他のお子さんが居たらそのお子さんが何も無いところで転んだり、階段から落っこちたり、モノにぶつかったりします。其の時は要注意です。心を静かに落ち着けて「その子供の囁き」を聴いて下さい。聞こえる聞こえなはその人の心の問題ですから。私は必ずといって良いほどに「聞こえる」と思いますよ。静かに落ち着いて心から「邪念」を祓い、海の中に居ると思い「ささやき」を聴いてあげましょう。それが「何であれ」語りかけてきます。又二人以上のお子さんがお亡くなりになっている方は顔が重なっていますから、何とか重なっているお顔を見てどうして欲しいか聞いてあげてください。何かを訴えにきています。それは顔の表情でしか感じる事が出来ません。まだ私自身修行が足らないのだと反省しています。皆さんに言いたいのは、何時も私は「変なモノ」が見えるわけではありません。皆さん、「私変なモノ付いてないですか?」等の質問はご勘弁下さい。本当に憑いている方にあなた憑いているとは言えません。それはその人しか言えない事なのです。私と会ったら私の顔を良く見て下さい。私の顔の表情でどうなのか分かると思います。