トイレの神様(最後まで愛せますか)
前回に
続きトイレの
神様について考えてみましょう。日本全国何処に行っても家の中や敷地によく神
様が祭られています。ト
イレにも神
様がいると言って地域によっては拝む所もあります。 しかし、私は今まで何処
に 行ってもどんな場所に遭遇しても、トイレに神様がいるのを一度も見たことも 感じた事もありません。本当にト
イレには神
様がいるのでしょうか?
もともと風
水は自然の中に存在する氣のありかを探したり、氣の流れを読み取り、それを住
宅や墓に導き入れて蓄えるということから始まったもので、科
学的な観点から地形や環境を判断しました。昔は理論などよりも経験や氣を感じ取れる感性とか感覚の方が重要でした。 やがて、易学を元に何でも理屈理論で
考える理気派が現れて、現在のように方位を8等分、24等分、64等分して考えるようになりました。また、天
体の動きを観察して一年を通じて動かない星、すなわち、北極星を発見しそれを目印として移動や航海をしたでしょう。磁石がまだ発見されていない時代の人にとって方
位を知る方法は、太
陽の昇るところと沈
むところ、星の位置を観察することだったように思われます。冬至、春分、夏至、秋分などの太陽の昇る方位を基準にした古代遺跡はよくみ
られます。太陽、月、星を観察することで季節を知るのにも役立ったことでしょう。農
耕が進めば風
水害を避けて種まきや収穫の時期を決めたでしょうから、食べて
いく ために、生きていくために必用だった知恵がやがて暦となり、耕作地や住宅地を決める風
水知識となっていったと思われます。 古代では自然の力が人間
の力よりもはるかに大きかったため、自然という 大きな存在を神として崇め、 自分たちの村に災害をもたらさないように祈っ
たに違いありません。お金が存在しない時代に最も大切だったも
のは水と食物です。水と食物が無けれ
ば生きていけませんでしたから、水の湧くところや調理する竈を神聖な場所と考え、神様を祭りました。畑も食物をもたらす場所ですから、種をまくときや 収穫する時には神様に祈願しました。こうし
て、豊
作を願って自然の恵みに感謝するところから神観が生じたのではないで
しょう か。昔の人がイメージした神様は人格神ではなく自然そのものだったでしょう。
やっと、本
題に入りますが「ト
イレに神
様がいる」と言い出したのは一体いつからでどういう理由から始
まったのでしょうか? 実はこれがなかなかはっきりしないようです。今でも地方によってはトイレの神様をお祭りしているかもし
れま せんが、何故トイレを
拝むのか見当もつかないことでしょう。 沖縄や中国ではトイレの起源が豚トイレでしたから、ここにヒントがありそうです。 昔沖縄では、他所の家を訪ねる時、一応ごめん下さいと言ってから、便所のある豚小屋まで行って豚の様子を窺い、「いい豚を
飼っ ていますね」、「いい屋敷ですね」と褒める風習があったようです。
また、夜外出して幽
霊や魔
物に出会ったり、驚いて帰ったときには家に入る前に豚トイレに行って、豚をおこ
してグーグー鳴かせて魔物を
払い、それから家に上がったようです。 さらに、沖縄では驚いたり、恐
怖に怯えるとマ
ブイ(魂)が落ちると言います。それで、元気が無くなったり医
者に 行っても病気がなかなか良くならないとマブイを拾ってきてマブイを込める儀式を行います。これをマ
ブイグミと言うのですが、マ
ブイを落とした場所がわからないとマブイを拾いに行けないの
で、その場合にはトイレで
便所神を拝んでマブイグミを
したようです。 豚
トイレの神
様を拝む時には、「疫
病もなく大きな豚になるように守って下さい。」と祈ったようで
すから、食料と
なる豚が死ぬ
ことや疫病が流行ることを恐れた昔の人たちが、そういう凶事に遭わ
ない ように神様を
祭ったのではないでしょうか。また、「神様を祭ることで豚便所を不潔にしなくなる」という現実的なこともあったでしょう。我が住職曰く「トイレには皆が
近寄 らない、近寄らす為に、神が
いる、奇麗に
なる」と説法したと聞く。又人には、希望を持たせる為に「いつか神
様があらわれて願いが叶うだろう、いつか神様が来て私の話を聞いてく
れるだろう」話した、との言い伝えです。昔は色々の話をしないと皆が協力しなかったのでしょうね。いつの世も同じですね。最
後に住職は
こんな事も言っていた「人間には過去と未来がある、又人間には裏と表があるその両方を愛せるなら一緒になれと」 その両
方を分かってあげてこそ仕
合わせに なるのだ。との教えです。
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