現代帝王学(夢は見るモノではなく・・)

 子供の頃、親から良く言われた事がある、「人間生きて行く上で、自然を尊び、自然に感謝して人生を全うしろ」と何時も言われた、子供の頃は余り気にもしていなし何の事か分からなかったが、中学生になった時、先生からクラブ活動の指導があり、其の時初めて教えられて気が付いた「戦争が終わり親達は何も無い所から今日の日本を創ってこられた、我々教師はその親御さんの代わりに、君達にこれからの日本を築いて貰う{基礎}となる{優しい心}の持ち主になって貰いたい、その{優しい心}が将来国の支えになるからだ」この言葉を肝に銘じて貰いたい。

「自然を尊び、自然に感謝し、自然を愛してほしい」と言われた。それは何十年もすれば必ず芽生えてくるものだ、何故なら世界中で日本人が一番「」 というモノを大切にする気持ちを持っている人種だからだ。その一番大切にするモノ「愛国心意思」を戦争で敗れアメリカに持って行かれた、敗戦国から勝利品としてモノを持って行くなら我々も我慢をするが、「愛国心意思」を持って行かれた時には・・・、何時までも悲しんでいられないから何十年か先には必ず日本人には返ってくるであろう、その為に「優しい心を身に付けて」人生を全うして貰いたい、と私達に教えられた良い先生でした。先生から言われた話を家に帰り、住職に話をすると、其の通りだ「悲しい時ほどきちっと笑顔で挨拶し、腹が立った時ほどきちっと頭を下げて挨拶し、辛い時ほどきちっと指先まで伸ばし挨拶」する事が一番大切である。住職曰く、我々日本人は世界のどの国にも負けないモノを持つている、それは「皆が力を合わせるという{}と、{辛抱}という大切なモノを受け継いでいる」からだ。今から70年以上も前に高知県高岡郡宇佐村・我が住職の家も津波によって全て持ち去られた、其の時住職の取った行動は「人を当てにするよりも、皆で力を合わせ、持てる力で克服しよう」と号令を掛けたという。だから高知県高岡郡宇佐村は何処よりも早く「雨、梅雨を凌ぐ」事が出来たと聞く。今でも言われている全国で一番早く「津波小屋」が造られたと。昔も今も同じ「人を当てにしてはいけない、自分達の事は自分達で全てする事」だとの教えです。津波で全て無くなり命だけ助かったのだから「何だって出来る」と町民一体となり、住職の指導の下に町を徐々に復興したと聞く。今の政府・行政など当てにしないで、地域皆で力を合わせ少しずつ自分達の力で復興しましよう。戦後アメリカには、我々の「情熱」は持って行かれてない、この「情熱」がある限り必ず早い復興が出来ると思います。我が住職の言葉「夢は見るモノではなく、夢は叶えるモノだ」との教えです。前にも言いましたが、「相手(国・行政)に我々の願いを伝えたい時は、自分自身に語りかけよ(自分自身で行動すると、周りが必ず同調し付いてくる)そうすると、必ず相手が話を聞いてくる、それでも相手が話を聞いてくれない場合は、自分自身が無(地域皆に相談)になり己を律す」事だ、との教えです。

   

私は住職に聞いた事があります、「リーダーシップ」とはどのように取るのかと。住職は笑いながら1000坪の土地を指差し、この1000坪の土地をどのように区切るかだ。この区切り方が「リーダーシップ」の取り方だと。