心の余裕

 
私の所に

1.私はお金は無いけどものすごく健康です、
2.お金は有るし、子供にも恵まれ仕合わせでありますが、体調が悪い、
3.身体(背が高く、いけ面)は自分でも申し分ないが、体が健康でない、
4.頭が良く学歴は有るが、体調が優れない、
5.体はいたって健康だが、仕合わせで無い、
6.仕合わせだけど、お金が無い、
7.仕合わせだけど、健康で無い、
8.最高の地位に就きいい人生を全うしたが、仕合わせでは無い、
9.普通の人生を普通に来たが、とっても仕合わせだったが妻は病弱、
10.私は不美人だけども、人を楽しませたり、安らぎを与えたり出来る。

以上のような皆さんからメールを戴きます、戴いた方が「こんな私は仕合わせでしょうか?」と質問を戴きますが、「はっきり皆さんに言います。」

それは「仕合わせ」な方の質問です。
何故なら、「他の人より1つだけ優れたモノを持っていれば(戴いていれば)そのモノを自慢できる訳ですから。」常に自分の「」の中で呟けば良いのです、「私にはこんな良いものがある」と。そうする事で「余裕」となって人との接する気持ちが優しくなります。「心」の余裕となって現れるのです。それは自分の接する人に対し「生きるということに与える」モノなのです、我が家では「」の余裕とは、人生を「強く生きろ」「世の中に対し自分自身の存在を見せ付けろ」という家訓です。
ここで大切な事は決して自分自身は「貧しいとか、惨めだとか、他人より劣っているとか、後悔したりとか」を思ったりする「」を持たないことです。
自分の「悪い所」を見せる人は居ませんよね、人は常に「悪い所」を隠します、人に対し「良い所」ばかり見せますよね、我が家の住職の言葉に、は皆生い立ちの自慢職業学歴、の自慢はするが悪い生い立ちのや、嫌な職業や、出てない学歴自慢はしない、でも誰でも話しが出来るのが『健康、仕合わせ、お金の有る無し、の悪口』である、一番大切なのが『に対しての心遣い』『人の意見忠告は聞くように』であります。

だけど最後に「決断を下すのは自分自身」だ、であります。
この様に自分に対し「意見忠告」を言ってくれる人を大切にしなさいと。それからお寺での食事の時「毎日、食事に必要なモノだけを体に摂れば良い、余分なモノは摂らないこと」であります、高額なモノを買った後「失敗したな」と思う事と同じで「余分モノ食べたら、ちょっと食べ過ぎたな」と思うでしょう、「贅沢をしない」「満腹にならない」とは、「余分モノに」手を出さないという事です、「余裕」を生む事なのです、イコール「静けさ」だと思われます、そうする事で物事を「冷静に落ち着いて」見る事が出来るようになるのです。
一年の内に一日笑顔でいられる日が何日あるでしょう?気分的に載らない日が一年に何回あると思いますか?心が晴れ晴れとした日は一生の内ほんの数える程の日しか無いと思われます。
心の強さと優しさを持っていないと日々の「笑顔」が出せません。見せ掛けの「笑顔」は直ぐに見破られます、「笑顔」は心の中から滲み沸いてくるものなのです、その「笑顔」を日々鍛えるためには(普段着でいる時の自分自身の真顔が)大切です、誰も居ない所での自分自身を全て出し、ありのままの自分に気付き、見せ掛けの自分自身を見抜き、自分自身が素になっている時に「余裕」が出せれば、「笑顔」が自然と出てくると思います。

常に「を」静かに落ち着けているように心がけましょう。