思い出〜横綱輪島関から学んだもの〜

 私は18歳の時に東京に上京し、30年近い歳月を過ごしました。その間、いろいろな人生の修行はしたつもりです。
 特に、学生時代からの思い出として心に残るのは、当時日本の相撲界の頂点であった横綱輪島関に7年間も仕えることが出来たことです。とにかく、24時間ひと時も離れる事なくお仕えしたわけです。
 普通、誰もが接することの出来ない横綱輪島関と毎日、一緒に寝起きし、一緒に遊び、一緒に行動したのです。ですから、たとえ辛くても、眠くても我慢することができました。今から考えると、本当に大変な事だったなと思います。
 とにかく当時の輪島関の人気は大変なもので、全国の方々から励ましのお便りや写真を送ってくれなどというお便りを毎日山のようにいただくわけです。
 輪島関と一緒に車に乗っている時や歩いている時、食事をしている時などはそれはそれで大変でした。私としては色々な角度から輪島関ファン、相撲関係者などに見られているため失敗(ヘマ)は出来ません。言葉使い、立ち振る舞いすべての事において完璧でなくてはならないわけです。ちょっとでも変な言葉使い、挨拶をするものなら「なんだあいつは」と周りの横綱にいいあげつらわれるわけです。
 それはちょっとやそっとの神経や気の使い方では仕えることが出来ませんでした。本当に、あの時の7年間の修行は自分自身にとって完璧な形で身についてます。挨拶、言葉使い、マナー、目線、立ち振る舞い等はちょっとやそっとでは負けません。それだけ自分に対して自信がついているわけです。
 どんな場面に遭っても、どの様な方々とお話しても、たとえ何百人の人達を前にしても、決して怯むことなく話すことが出来ます。これもひとえに横綱輪島関に仕えたおかげと感謝しています。
 私は故郷の土佐に帰り、家族と静かに残りの人生を過ごそうと思っていました。しかし、なぜか静かに過ごすことが出来なくなっています。それは都会ではあまり感じられなかった「力」というものがはっきり判るからです。特に、弱い者は「力」によってねじ伏せられています。どうしてこんな理不尽さがまかり通っているのかと感じさせられます。故郷に帰ってから6年近くで「弱い者」の味方をして、肩入れしたことが30件以上もあります。私の性分として、首を突っ込んだ以上は決して負けるわけにはいかないのです。