批判(良く意味を知るべきだ 啓発)

 

批判していると言われた、批判とはどういう意味か、どういう批判なのか、非難なのかをよく考える。

批判:とは、人や物事の誤った箇所や、悪い部分を根拠を示しながら論理的に指摘し、改善を求める事と(辞書に書いてある)相手の過失や欠点、悪い点をあげつらって、感情的に責めたり、馬鹿にしたりする事は「非難」にあたる。と、ここが大切なんです。批判しているならば「改善」すればいい。

 

 批判で正しい方向は、客観的思考や豊富な知識、理性的な態度、そして何より批判をする相手に対する「思いやり」が必要となり、ただ闇雲に相手の悪い所を指摘し「める」だけだと、「非難」でしかないとの事です。私のこのホームページに掲載しています、文章を例にとって話をしますと、簡単な事が分かりますよ。機をみるに敏(好都合な状況や時期をすばやくつかんで的確に行動するさま)と言われた。

 

 我が住職は、人が「批判」をする時は「自分の生活や、人的脅威」を感じた時に「批判」をすると、教えられました。

 

 だいぶん前に、ある本を読んでいて「日本人は」生活や日々の安定を望む人種であると、書いてありました「その通り」だと感激した覚えがあります。その「安定」したモノを混乱させられたりすると、その行為を「拒否反応」してしまうと。たとえ、その「拒否反応」が自分の為にならない事が分かっていても、「拒否」すると書いてありました。それは「日本人のサムライ魂」に火がつくみたいです。その時に発する言葉は「止めろ」であります。を見てせざるは無きなり(人として当然行うべきことと知りながら、それを実行しないのは、勇気がないからである辞書に書いてある)ですかね。本当の事を発して「批判」になるのかね。上記の文章を良く読んで、噛み締めて貰いたいですね。 

 

 一つにインターネットの掲示板に良く書かれています、質問等で、金貨いくら払いますから教えて下さい「これは、どういう意味ですか」との書き込みをみると、そんな事ぐらい分からないのか「自分で調べろ、考えろ」と強く叱咤しています。人は(日本人)自分よりも劣っていると、その人間を馬鹿にした態度や発言をする性質を持っているみたいです。それは「批判」ではなく非難です。

 

 住職はこんな事も言っていました「己より、他人(相手)が下に見えたら、己はその人間と同じ位置だと、己と他人(相手)が一緒に見えたら己よりだと思え」と教えられました。人のの話です。

 

 シドニーオリンピックメダリスト:高橋尚子女史がオリンピック後に太ったのを見て、マスコミの記者から非難の声が上がった「マラソン選手のくせに、太るなんて、なんだ」と新聞で報道がありました。他の新聞報道で、マラソンの大会まで体重を落とす為に、大会が終わって多少は太るのが体のバランスをとるのに必要(科学的意味)であると分かったのです。この記者は自分の無知に後で気がついたのです、この無知が記者生命を終わらしたのではないです。上司から「しっかり勉強して、無知」を無くせと、言われて徹底して「勉強」をしたと聞きました。この上司の「思いやり」がこの記者を成長させたのです。全ては「思いやり」を持って、相手に接して「注意」するべきですね。

 

 最後に、責任ある人は「下手に人を非難したりしないモノです、それは人を非難したり攻撃したりすると、その後に自分に対して不利な影響」が降り掛かって来る事を知っているからです。

 

 あいつは、と「人差し指を指させば、残りの指三本は、己に向いている」と住職に教えられました。

己に三倍跳ね返って来るのですね、怖いですね。人の事は「く言わない事です、人はめることです」との教えです。携わる人、携わる人はめろとね。前回の「おもてなし」は高知県が発したことばですよ、本当の話をしたまでです。高知県県庁「おもてなし課」に行きまして、抗議しろと私が言うのですか。映画のポスター掲載します、見て下さい。